猫と犬とピアノと、たまに本。

猫娘達と犬娘、そして音楽と本に囲まれて生活しています。

物理的な時間問題。

ソルフェージュのレッスンの話です。

 

今回は、あまりにも練習しなさすぎた状態でレッスンに突入しました。

あまりにも気後れしたために、

「あまり練習できませんでした。」

と、事前に申告してからレッスンに入ったのですが…

 

レッスンを進めるうちに、あまりの私の不甲斐なさに、

「レッスンを受けただけでは、上手くなりませんよ?」

「あまりにも練習量が足りなさすぎる。」

「レッスンの中で練習するのは勿体無いと思いませんか?」

「『何となく練習してきました』では、レッスンでは上手く弾けませんよ?」

「レッスンは、最初の舞台の場なのですよ?ここでできなかったら、ステージ上では当然弾けませんよ?」

「『あなたが』試験(グレード)を受けたい、というからやっているレッスンですよ?」

(「あまりにも」のフレーズのオンパレードですみません。)

 

先生は、怒鳴ったりヒステリックに言ったりはしません。ただ、淡々と事実を平坦な口調で述べておられました。が、それが一番怖いっ!極寒の地で、ブリザードが吹雪いています。怖い怖い😱

先生は、年上の私に、言葉を選び選び話して下さいます。が、選んで選んで話されるため、逆に余計な装飾がなくなり…むき身の刃のような鋭い言葉になるようです。

 

確かに、カデンツを覚えていません。調号を見て、何調かをスラスラは言えません。先週…は、レッスンは無かったので、その前の週にやった、調ごとの和音の動きも覚束ない状態です。Ⅰ度の基本形に続く、近くの移動で済むⅣ度、Ⅴ7度はどの転回形か、など、スラスラ出てきません。元々の記憶力の悪さに加え、練習不足甚だしいのは自覚があります。はい、全ては、私自身に原因があります。

先生の仰られることは尤もなことばかりで、返す言葉もございません。真実と真理の言葉なので、反論できないし、その分、心がえぐられます。

そして、先生が、私の努力不足に対して、苛ついているのも、見て取れます。この年になると、立場的に、職場でも家庭でも叱る側注意する側になり、自分自身が注意されたり怒られたりということが殆ど無くなるため、余計に堪えます。

ソルフェージュを習得しなければならない、と思う以上に、先生に怒られたくない、先生をイラつかせたくない、という思考が働き始めているのが自分で分かります。

怒られたくないから、練習しなくちゃ。

嫌〜な思考回路です。

怒られたくないから…って、勉強嫌いの子どもの発想。やりたくないから、勉強しない。勉強しないと親や先生に怒られるから、尚更勉強嫌いになる。

 

あれ?

私は、やりたくてピアノを続けています。そして、ピアノの資格を取りたくて、その資格取得のために必要な勉強であるソルフェージュを勉強しています。ひいては、ピアノ演奏に役立たせるためにソルフェージュを勉強している、はずです。なのに、いつの間にか、「先生に怒られたくない」から、ソルフェージュの勉強をしなくちゃ、という心理になっている…。(でも、嫌いだし楽しくないからソルフェージュをやりたくない、とも思っています…)

なんだろ。本末転倒な発想になっていますよね。

 

この嫌〜な発想を打破するために、練習すれば良いだけのことなのですが。

練習をするだけの「物理的な時間」も無い。

実技の練習を捻出するのも、やっとの思いです。(全然練習時間は足りていませんが。)

朝の30分、帰宅後には、出来て30分、酷い時には10分も出来ません。一応、我が家には防音室を備えていますが(防音室の為に家を建てました(苦笑))、それでも、24時間の練習は厳しいです。騒音の問題と、体力の問題。特に、体力の問題が「大きな壁」として立ちはだかっています。無理して練習をしたい時もあります。いや、殆ど毎日そう思っています。が、帰宅後に無理をして満足するまで練習すると、翌日の仕事に確実に響いてきます。翌日のみならず、数日…週末になるまで響いてきます。つくづく「無理の効かないお年頃」を痛感しています。

 

若い時のように、ガムシャラに自分を虐めるような無理をした練習が出来ない今時分に何とか成果を出す方法…

誰か、いい方法を教えてください。

 

因みに、体力のみならず、踏ん張る根気・集中する馬力も衰えてきています。

あるのは、やりたい「気持ち」だけです。

[六女ゆき「身の丈に合ったことだけしていればいいんじゃないの?無理して詰め込み過ぎているんじゃないの?」…でも。見てみたい景色があるんですよ…]