私は蛙です。井戸の中の。
昨日、とあるYouTuberピアニストさんが主催してくださったピアノの弾きあい会に参加してきました。
こういう会に参加する度に、自分がいかに出来ないかを痛感させられ、凹みます。
出演者がたった8組の小さな会なのですが。やはり、このような会に「出よう」と思う人たちです。素人とはいえ、ただ音楽でお金を稼いでいないだけ、というレベルの人たちが出演に名乗りを上げるようです。
あまりにもレベルが高いので、ある出演者の方に「音大ご出身ですか?」と聞いたら、「音大ではないですが、音楽の学部は出ました」と返答がありました。また、ある人は、「音大は出ていませんが、ずっと音楽教室でピアノを教えていました」とのこと。あ〜、背負っている経歴が私と全く違う!この経歴を培う経験が、実力差として如実に現れているのだと思います。私とは「レベチ」な人たちでした。 (ちょっと、若者言葉を使ってみました(笑))
何が違うって。
技術も勿論ですが、曲のスケールが違うのです。
私の演奏は、技術が拙い、音が硬い、のは自覚していましたが、曲の強弱の、振り幅が小さい。小さく「まとまっている」ならばまだマシですが、まとまりもしていないのですが…
そして、思い当たったのが、CD。
毎日聞いています。プロの演奏なので、どれも惚れ惚れするほど素晴らしい演奏が収録されています。
が。
CDから流れている演奏は、機械の都合で、機械が持っている性能以上の幅の音は出ないのですよね。単純な音量だけであれば、機械は無限に出せるでしょうが、…上手くは言えませんが、音圧?迫力?振り幅と言えばいいでしょうか。どんなに美しくても整っていても、生のあのスケールはスピーカー、イヤホンを通じてでは出しきれないのでしょうね。
そう思い至った時。自分の演奏の、何と小さいことか。原因の1つは、これか…と感じました。
私は上手くなっている。
いずれはプロと言われる人たちの末席に…
なんて、自惚れている場合ではありません。
確かに、以前よりは上手くなりました。が、そもそものレベルがお遊戯会レベル。「上手くなった」なんて言ったら、鼻で笑われるレベルです。
何をもって「上手くなった」と言えるなんて勘違いが出来たのだろう?
あ〜!ブランクの20数年、再開後のダラダラしていた10年近くが惜しい!
…と言っている時間も無駄な時間。かも知れません。(でも、つい愚痴ってしまいますが(苦笑))
人生は有限。
もう、無駄な時間を過ごす時間は残されてはいない…。
井の中の蛙、大海を知らず、ではなく大海に打って出る。痛くても、凹んでも。
もう、これは、ライフワークかもしれません、ね?(苦笑)
[五女そら ヒトの気も知らないで、優雅に惰眠を貪っています…と言ったら怒られそうです(苦笑)]
↓シュフのYouTubeが1周年を迎えました。登録者数は遅々として伸びていません。良ければ娘たちを可愛がってやってください。