猫と犬とピアノと、たまに本。

猫娘達と犬娘、そして音楽と本に囲まれて生活しています。

焦ってはいけない、いけない。

お題「もっと早くやっておけばよかったと思う事」

 

今の自分の年齢であれば、この位の位置にいるはずだ。

・・・という理想があります。いや、妄想か?

 

私には私の積み重ねた年輪があり、その年輪の範囲では、私は確かに若かりし頃よりは成長しているはずなのです。それが、世間に注目されるような成長ではなかったとしても、必ず世の中を構成するための礎にはなっているのです。なっている筈なのです。そして、それは私が多かれ少なかれ、枝分かれした人生の岐路を選択した結果なのです。しかし、その選択は、必ずしも主体的に選んだものばかりではありません。それどころか、他に選ぶ術が無かった場合もあります。それは誰しも同じかもしれませんが・・・

その、選ばなかった、選ぶことができなかった道に思いを馳せて、時折言葉にするのが難しい感情が込み上げてきます。「あの時あの道を選ぶことができたら、今は違っていたはず。」・・・と。つまりは、無いものねだりな訳です(苦笑)。

タチが悪いことに、その道で第一線級で活躍をしている人を見て、「私もあの時あの道を選んでいたら、あの人と並んでいられたかもしれない。何故あの時あの道を選ばなかった(選ぶことができなかった)のだろう。」等と考えてしまうのです。本当は、その道を選んだからといって、その「第一線級で活躍をしている人」と同じように努力を重ねられる程自分には根気がある訳では無い、というのも薄々判っているいるのですが。「薄々」と言っている時点で、誇大妄想ですね・・・。

その道を選ばなかったからこそ、「第一線級で活躍をしている人」ができないことで、自分に出来ることが少しはある、というのも判っています。でも、それは私自身が望んだ姿かと言われれば、そうでも無いのが、面倒臭いところなのですよ。

 

では、今から選ばなかった方の道に進み直そう、と思っても。

選ばなかった道で活躍している、私と同世代の人は、当然ながらその道で結果を出しているのですよね。一方私は?「いつか結果を出したい」と思いつつ、素人丸出しの覚束なさ加減。そして「いつか」っていつ?そして、遅まきながら進み直しても、本当にいつか結果が出せる?

道が分かれてからの年月が長ければ長いほど、その道で活躍している人はその道のことに注力しており、私はその他のことをやっていたのだから、その道における実力差、社会への貢献度が違うのは、そもそも当たり前なのです。

若い頃は、「いつかあの人に追いつきたい」という純粋な気持ち「だけ」で、コツコツ努力を続けられていたのに、この年になると、「あの人(一線級で活躍している人)に比べ、同世代の私は何故こんななのだろう。」と、選ばなかった道に対して後悔し、選ぶことのできなかったその時の状況に毒吐き、そして、そして、浅ましくも、結果を出せていない自分自身に焦れているのです。もっと素直に、「あの人より(その道に対してへの)努力や関わっている時間が圧倒的に少ないのだから、コツコツ行こう。同じ年数だけ積み重ねた時に、今のあの人と同じになっていれば良いのでは?」と思えれば、ずっと楽なのになぁ、ということは分かっているのですが・・・実際になれるかどうかは、さて置いて、ですが。

 

・・・ということをつらつら書き連ねてたら、自分のウジウジさ加減が恥ずかしくなってきました。

というところで、「もっと早くやっておけばよかったと思うこと」。

色々ありますが、とりあえずは「ブログ」活動

文章を書くのに色々考えるので、思考が整理できますね。

本当はもっとドロドロしたことを書こうかと思ったのですが、思考を整理する過程で自主規制が働いたので、この程度にさせてください(苦笑)

 

年を重ねると、色々思い煩うことが多くなりました。

なるべく、シンプルに気持ちよく過ごせるよう、頑張っていこうと思います。

[六女ゆき 疑わしそうな目で見ています・・・]

 

↓犬娘まろんと六女ゆきは、先を競うほどの食いしん坊です(笑)


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